書寫山 圓教寺 健康道場 で修行体験しました
映画ラストサムライで有名な書寫山圓教寺で月に一度開催されている健康道場に参加してきました。
目次
参加したきっかけ
税理士受験一年目に講師から『読経のように唱える。写経のように書く。』と理論暗記のアドバイスを受けました。その年の本試験を終え失敗を痛感した私は『本当に読経や写経のように理論暗記をしたのか?』と考えました。『そもそも読経も写経も知らないな…』ということで『お寺でちゃんと読経や写経を教えてもらおう!』と圓教寺にお参りしたのがはじまりです。
それから年に一度、本試験後のリフレッシュとして一泊二日の健康道場に参加しています。今回で四度目の参加ですが、新たな発見や学びが多くありました。
気づき
『いま目の前にある物事に集中することの大切さと難しさ』を学びました。
本試験でのケアレスミスは往々にして『いま解いている問題』に集中していないから起こるのではないかと思います。つまり、『解き終わった問題が正しかったのか?』や『次の問題はどうしよう?』といった過去や未来に心を傾けてしまって、目の前にある『この問題』を疎かにした結果ではないかということです。
理論暗記で必ず話題となる『暗記が先か、理解が先か』問答について、修行体験では理屈の前にひとまずやってみる姿勢の大切さを知りました。わからぬままでも続けるうちに次第と理屈はついてくるように思います。
お坊さんの修行は上座の方々のなさる様子を真似することが基本のようです。先輩はお手本を示し、後輩は謙虚に学ぶようです。相対評価の競争試験では隣の受講生もライバルではありますが、同じ資格を志す仲間から学ぶことも多いのではないかと思います。
また、受験勉強を続けているとどうしても他校の教材など学習範囲を広げたくなります。どこまで手を出すのか、どこで止めるのか、この『妥協点』が難しいと思います。闇雲に手を広げるのではなく、自分の学習環境や能力に見合った『妥協点』を見出すことと、その『妥協点』の範囲内の教材を突き詰めて解くこと、こういったことが自分に欠けていたと気づきました。
これから
九月は新年度のはじまりです。
複数科目の勉強をしていると、いま目の前にある科目を解きながら他方の科目のことを考えているときがあります。それは仕方のないことかも知れませんが、できるだけそのことに気づいたときは目の前の科目に集中しなおすように心掛けます。
理論暗記の精度を高めるために、繰り返す読み書きを丁寧に集中して回数を重ねます。
絶好調でも絶不調でも心持ちは淡々と、形を整えて学習を進めます。
受かりたいという気持ちが強ければ強いほど、肩に力が入り呼吸は浅くなり脈拍は速くなります。そんな自分に気づいたら坐禅で学んだ呼吸をして緊張緩和に努めます。
暑さに弱く食も細く体力もないへたれなので、体力向上の運動がてらまたお参りしたいと思います。
圓教寺 健康道場 体験内容
坐禅止観(ざぜんしかん、座禅のこと)、食事作法(じきじさほう、精進料理を食べること)、写経、読経、護摩行、茶話会、作務(さむ、掃除など)を一泊二日で行います。
修行と聞くと、辛い断食や滝行、火渡りなどを想像してしまいます。ここでの健康道場はあくまでも修行の『体験』で、日常生活から離れリラックス&リフレッシュすることを目的としています。ですので、仏教や修行の知識や経験は全く不要ですし、辛いことはほとんどありません。それぞれの項目も自由参加です。
ただし、見ず知らずの参加者との集団行動ですので、時間の決まっている食事や入浴などはルールに従って行う必要があります。
なお、圓教寺は山の上にあり、山内の移動は徒歩です。舗装されていない道路や滑りやすい石段などが多くあります。履き慣れた歩きやすい運動靴でお越しになってください。建物内にエアコンはありません。汗をかいてもよいように、着替えやタオル、ボディシートの準備をすれば万全です。
また、坐禅などのお作法はお坊さん方が親切丁寧に教えてくださいますので、その通りにすれば問題なく楽しむことができます。
坐禅止観(ざぜんしかん)
国指定重要文化財である常行堂(じょうぎょうどう)で行います。坐禅のコツとしては、靴下・眼鏡・腕時計などは取り外して身体の締め付けをなるべく減らすことです。締め付けがあると身体の強張りや足の痺れに繋がりやすくなります。
夜間・早朝の坐禅は、真っ暗で静かな空間の中にロウソクの明かりに照らされた阿弥陀如来像の前で座ります。うっかり眠ってしまいます。眠るほどにリラックスできたと前向きに受け止めました。
坐禅に付き物の「長い棒でお坊さんに背中を打たれる」アレですが、警策(きょうさく)と言います。怖いな、痛そうと思いますね。いきなり打たれるのかとビクビクしそうですね。安心してください、ここでは希望者のみ警策を与えられます。ちょっとお願いしようかなという場合は、お坊さんが近づいたときに合掌して合図をします。前かがみになって背中に左右三回ずつ「パンパンパーン」と打ってもらいます。大きな音で迫力満点です。お坊さんはプロなので背骨を避けてあまり痛くないように打ってくださいます。真冬の寒いときは打っていただくと血行が良くなるのか身体が温まります。ここで重要なことは、最初の「パン」という大きな音に驚いて身動きしないことです。ビックリして動いてしまうと、お坊さんの目測と自分の背中がズレてしまうので背骨に当たる確率が高まります。もしも背骨に棒が当たった時は、お坊さんが下手なのではなく自分が少し動いてしまったんだなぁと諦めると精神衛生上よろしいかと思います。
食事作法(じきじさほう)
肉魚を使わない野菜のみの精進料理です。味付けも薄味です。野菜といえども命あるものをいただいていることに感謝してゴマ一粒残さずに食べます。食事の後は食器と梅干の種一粒のみになります。普段の生活の中に極める心があり、食事の動作一つひとつ指先足先に神経を使い、集中力や姿勢を学びます。
『いただきます』の言葉は、食べ物を頭のてっぺん(=いただき)に押し戴くことから来ているそうです。居ずまいを正し心を整え、全てのご縁に感謝の気持ちでお経を唱えます。そして、小皿にご飯粒をほんの少し取り分けます。これは後で野生の鳥がついばみにやってきます。施餓鬼供養の意味合いも含まれるそうです。最後にもう少し呪文を唱えてから「いただきます」で食事開始です。家庭での食事では、テレビを観ながらお喋りしながらがほとんどだと思います。しかし、食事作法では『いま目の前にある食事』に集中します。食材だけでなく食事として提供されるまでに携わってくれた人々への感謝の念を噛み締めながらいただきます。というわけで、食事中は無言(おしゃべりしない)です。感謝の念を込めるということは丁寧に扱うということで無音(音を立てない)です。
食事作法は『隣席の上座に倣うべし』と書いてあるので、お坊さんのなさるとおりにしてみました。とても早くてのどが詰まりそうです。コツとしては、食器は両手で扱うこと、食器を置くときは食器とお盆の間に指一本挟んでクッション代わりにして音を立てないこと、おかずは一品を食べきってから次のおかずに進むこと、おかずの汁気はおかずとともにいただくこと、お箸は手に持ったままにすること、沢庵はお湯呑みのお茶に浸けておくとふやけて音が立ちにくいこと、高速で咀嚼の回数を増やすこと、などです。沢庵だけに気を取られていてはいけません、レタスやお吸い物のネギも(沢庵ほどではないにせよ)音がしますので要注意です。こういう感じで、静かな中に咀嚼する音だけが響きます。
写経
国指定重要文化財の食堂(じきどう)で般若心経を書き写します。墨を磨って小筆を使います。お手本用紙の上に罫線の引かれた半紙を重ね、なぞり書きします。ほとんどの人は初めてでも1時間30分程度で書き上げることができます。正座が辛い場合はテーブルと椅子の席もあります。
写経は何度か経験がありますが、私はとても時間が掛かります。一文字ごとに読みを確認しその文字がどんな意味なのかなぁと考えると、文字がゲジュタルト崩壊したりします。今回は家族が様子を見に来ていたのに全く気付かず10分ほど目の前をウロウロしていたようで、驚くとともにとても嬉しく思いました。
写経のコツは、墨を磨る時の水は少し(百円玉くらい)から始めること、自分の字で書くこと、肩の力を抜いてリラックスし軽く書くこと、ただし丁寧に雑にならないこと、同じ調子同じ字同じ息で最後まで一気に(墨はつぎます、休憩しない意味合いです)書くこと、などです。
読経
般若心経を休みなく一定のリズムで唱えます。お坊さんはお経を唱えながら右手で木魚を叩き続けます。お経などを唱和するときはお坊さんの声の高さに合わせるんだそうです。なかなかに大変そうです。お互いに調子を合わせる必要がありそうです。休みなく一心不乱にお唱え続けながら、周りの気配に心を寄せる難しさを感じます。
読経のコツは、句読点に関係なく息の続く限り読むこと、周りの調子に合わせること、です。
護摩行
これぞ修行というべき一大イベントです。火を扱う護摩行は家庭では無理ですから期待が高まります。護摩木という細長い木の板にお願い事や住所氏名などを書きます。これを燃やして煙に乗せて不動明王に届けるそうです。お願い事は「合格祈願」といった四字熟語だけでなく文章でもなんでも読めれば大丈夫です。読み方が複数ある氏名などにはフリガナを振っておくと良いと思います。
不動明王の正面に座ったお坊さんが和紙の本を見ながら身振り手振りを交え呪文を唱えます。参加者はお願い事を念じながら太鼓の音に合わせて不動明王真言を唱えます。私は真横で参加していたので本を見ることができました。確かに本に書いてあるポーズと全く同じです。おそらくお坊さんは数え切れないほど護摩行をなさってきたはずで、本を見ずともポーズも呪文も覚えていらっしゃるでしょうに、それでも本をご覧になりながらお勤めをなさっていました。このことに私は自らの学習態度を深く反省しました。過去に習ったからと教科書を読まずに問題を解き、そして重ねるミスの数々…
話を護摩行に戻します。今回の護摩行は三段護摩というもので、三角形に並べる木を二段重ね、その上にたくさんの木を重ねます。お米や樒(しきみ、緑の葉っぱ)、油などを撒き火をつけます。参加者が書いたお願い事などを読み上げてから、その護摩木を燃え盛る炎に素手(最初から最後までずっと)でくべます。火傷しないだろうかと心配になります。よく拝見しますと、衣には焼け焦げた跡がありますし、腕には治った火傷の跡があります。炎に照らされるお坊さんの姿に不動明王の気迫を感じました。
護摩行に参加する心得としては、眼鏡やコンタクトレンズは外すこと、万が一焼け焦げたり煤けても構わない服装で臨むこと、読める文字で護摩木を書くこと、せっかくの機会なので一生懸命お唱えすること、などです。
おまけ
ロープウェイ乗り場にて先着でいただいた手提げ袋。書写山ロープウェイの新ゴンドラ記念品のようです。
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